KKTテレビタミンのお料理コーナーでお馴染みの多恵ちゃん先生
- 2015/01/07
- 12:38
1月6日
昨年は、すれ違いばかりで、電話のやりとりだけでほとんど会っていなかったので、この日は電話を入れて約束の時間に自宅へ伺いました。
多恵子さんとは小学校の3年の時、同じクラスでした。家も近所で、お父さんはガラス工場を経営されていました。学校帰りに立ち寄ってガラスが瓶になるのを見入ったものです。おじさんが鉄の棒(中は空洞)にぐにゃぐにゃ状態の熱いガラスの塊を手で回しながら吹くとみるみるうちに形が整ってくるのが面白かったです。
多恵ちゃんとはその後、30年間会っていなかったんです。というのも、、3年2学期が終わると、熊本駅の白川を挟んで対岸の本山町から水前寺公園裏手に引越ししたんです。
再会は、熊本交通センターホテルのレストランで食事を済ませてレジへ向かっていると、窓際のテーブルに知人Yと顔を合わせました。挨拶をしてその場を立ち去ったら、後ろから「山内さん、ちょっとちょっと」とYさんから呼び止められ引き返すと、「山内さん、この人がああたば知っとってばいた」と、多恵ちゃんは私がヤマウチ醤油の息子と聞いて、ひよっとしたら同級生だった山内さんかもということで、呼び止められたんですね。兎に角、30年振りですから、その当時の面影はお互いないのですが、その当時のことをちょっと話をしたら、間違いないとお互い確信しました。懐かしく、嬉しく、それからと家族ぐるみのお付き合いを始めました。
長女の大学卒業の謝恩会での着物として、多恵ちゃんのチャイナ服をお借りしたり、手作りの中国料理をご馳走になったりと。
私の人生に素敵なプレゼントをいただきました。本当に、私は幸せです。
多恵ちゃん先生、これからも体に気をつけて頑張ってくださいね。
この日、お姉さんに撮っていただいた写真です。
お姉さんが作られた多恵ちゃん先生の名刺
昨年は、すれ違いばかりで、電話のやりとりだけでほとんど会っていなかったので、この日は電話を入れて約束の時間に自宅へ伺いました。
多恵子さんとは小学校の3年の時、同じクラスでした。家も近所で、お父さんはガラス工場を経営されていました。学校帰りに立ち寄ってガラスが瓶になるのを見入ったものです。おじさんが鉄の棒(中は空洞)にぐにゃぐにゃ状態の熱いガラスの塊を手で回しながら吹くとみるみるうちに形が整ってくるのが面白かったです。
多恵ちゃんとはその後、30年間会っていなかったんです。というのも、、3年2学期が終わると、熊本駅の白川を挟んで対岸の本山町から水前寺公園裏手に引越ししたんです。
再会は、熊本交通センターホテルのレストランで食事を済ませてレジへ向かっていると、窓際のテーブルに知人Yと顔を合わせました。挨拶をしてその場を立ち去ったら、後ろから「山内さん、ちょっとちょっと」とYさんから呼び止められ引き返すと、「山内さん、この人がああたば知っとってばいた」と、多恵ちゃんは私がヤマウチ醤油の息子と聞いて、ひよっとしたら同級生だった山内さんかもということで、呼び止められたんですね。兎に角、30年振りですから、その当時の面影はお互いないのですが、その当時のことをちょっと話をしたら、間違いないとお互い確信しました。懐かしく、嬉しく、それからと家族ぐるみのお付き合いを始めました。
長女の大学卒業の謝恩会での着物として、多恵ちゃんのチャイナ服をお借りしたり、手作りの中国料理をご馳走になったりと。
私の人生に素敵なプレゼントをいただきました。本当に、私は幸せです。
多恵ちゃん先生、これからも体に気をつけて頑張ってくださいね。
この日、お姉さんに撮っていただいた写真です。
お姉さんが作られた多恵ちゃん先生の名刺