新町散策後編(因みに、私は元会長です)
- 2019/04/29
- 08:30
4月22日
なるまる会のメンバー7名が来熊するので、前回に引き続き、新町の生き字引毛利さんに案内してもらいました。
待ち合わせの時間まで、一度、確認しておきたいところへ。武蔵の旧居跡がある千葉城町へ、坪井川沿いに、案内板がありました。川を向こう側の年金機構事務所があるところのようでした。武蔵が使っていた井戸から熊本城が見えました。
{ 千葉城は、応仁・文明年間(1467年から1477年)室町時代、出田秀信によって築かれた。 秀信は、守護菊地重朝の代官として藤崎八幡宮の惣政所を務めていた。 文明17年菊地重朝の命に従って出陣し、矢部馬門原の合戦で討死、嫡男重綱が跡を継ぐが父ほどの威勢も無くなった。 明応5年に守護菊地氏の命により鹿子木親員が隈本へ入り、藤崎宮の維持に当たるため隈本城を築くと出田氏の千葉城は廃城となった。}
待ち合わせの12時に喫茶店カウチへ。ここの人気メニューホットサンドを食べながら今日のコースの打ち合わせを済ませて、洗馬(船場)橋方面へ、途中、福田病院敷地内(塩屋町)にある昔から使われていた井戸も見ることが出来ました。洗場界隈には染物屋さんが多くあったようで、坪井川で洗っていたようです。
画材を扱っている古い文林堂に立ち寄り、満歳橋、富重写真館(西南戦争前の熊本城の写真を撮られている)、明八橋(この場所には大きな三丁目御門がりました)が見える橋へ(塩屋町)、人形・おもちゃ・駄菓子のお店むろや(ここでは昔から使われていた井戸もきれいな状態で保存されていました)、小鳥を飼って生業としていた新鳥町、ラムネ製造のお店、菓子製造の木型を見たり(中職人町)、そして今は新幹線の下に埋もれている高麗門跡、和菓子の店など、日頃、車で通っては見落としてしまう目面しいところを案内され、お店の方から気さくで丁寧な説明を受けました。
毛利さんの案内で新町の人情にふれることが出来ました。ありがとうございました。
これで、大学時代の下宿仲間(なるまる会)一行が来てからの案内準備は一応できました。 「なるまる」というのは下宿先だったなるまる荘の名前です。

このビル辺りに武蔵の旧居 小高い山にはNHK跡、その昔には千葉城がありました
幕末の思想家林桜園碑 武蔵の井戸

応急処置された石垣 梅屋発祥の地にある喫茶店カウチ 明八橋(皇居の二重橋を造った橋本勘五郎の作)

明八橋(江戸時代は木造の橋が架かっていました)の付近にあった大きな三丁目御門(西南戦争前の貴重な写真です)

むろやの井戸

ラムネ屋さん 昔なつかしいラムネ 新幹線下にある高麗門について説明をする毛利さん

貴重な高麗門の写真 江戸時代の絵図 高麗門とお堀

菓子の木型 目面しい子安地蔵 長鮮棒(水飴、はったい粉等が原料)

なるまる会のメンバー7名が来熊するので、前回に引き続き、新町の生き字引毛利さんに案内してもらいました。
待ち合わせの時間まで、一度、確認しておきたいところへ。武蔵の旧居跡がある千葉城町へ、坪井川沿いに、案内板がありました。川を向こう側の年金機構事務所があるところのようでした。武蔵が使っていた井戸から熊本城が見えました。
{ 千葉城は、応仁・文明年間(1467年から1477年)室町時代、出田秀信によって築かれた。 秀信は、守護菊地重朝の代官として藤崎八幡宮の惣政所を務めていた。 文明17年菊地重朝の命に従って出陣し、矢部馬門原の合戦で討死、嫡男重綱が跡を継ぐが父ほどの威勢も無くなった。 明応5年に守護菊地氏の命により鹿子木親員が隈本へ入り、藤崎宮の維持に当たるため隈本城を築くと出田氏の千葉城は廃城となった。}
待ち合わせの12時に喫茶店カウチへ。ここの人気メニューホットサンドを食べながら今日のコースの打ち合わせを済ませて、洗馬(船場)橋方面へ、途中、福田病院敷地内(塩屋町)にある昔から使われていた井戸も見ることが出来ました。洗場界隈には染物屋さんが多くあったようで、坪井川で洗っていたようです。
画材を扱っている古い文林堂に立ち寄り、満歳橋、富重写真館(西南戦争前の熊本城の写真を撮られている)、明八橋(この場所には大きな三丁目御門がりました)が見える橋へ(塩屋町)、人形・おもちゃ・駄菓子のお店むろや(ここでは昔から使われていた井戸もきれいな状態で保存されていました)、小鳥を飼って生業としていた新鳥町、ラムネ製造のお店、菓子製造の木型を見たり(中職人町)、そして今は新幹線の下に埋もれている高麗門跡、和菓子の店など、日頃、車で通っては見落としてしまう目面しいところを案内され、お店の方から気さくで丁寧な説明を受けました。
毛利さんの案内で新町の人情にふれることが出来ました。ありがとうございました。
これで、大学時代の下宿仲間(なるまる会)一行が来てからの案内準備は一応できました。 「なるまる」というのは下宿先だったなるまる荘の名前です。



このビル辺りに武蔵の旧居 小高い山にはNHK跡、その昔には千葉城がありました


幕末の思想家林桜園碑 武蔵の井戸



応急処置された石垣 梅屋発祥の地にある喫茶店カウチ 明八橋(皇居の二重橋を造った橋本勘五郎の作)

明八橋(江戸時代は木造の橋が架かっていました)の付近にあった大きな三丁目御門(西南戦争前の貴重な写真です)



むろやの井戸



ラムネ屋さん 昔なつかしいラムネ 新幹線下にある高麗門について説明をする毛利さん



貴重な高麗門の写真 江戸時代の絵図 高麗門とお堀



菓子の木型 目面しい子安地蔵 長鮮棒(水飴、はったい粉等が原料)
